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カネの衣を借る。

2006_01-08【1月8日(日)】 暮れに買った『AERA』の1月2−9日号をパラパラめくっていたら、面白い記事に目が止まった。「給食で『いただきます』は必要ない?」(P.72〜73)。

 記事によると、昨秋、朝日新聞の『声』欄に、北海道の某中学校で「給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい、という要望が出たと聞いて驚いた」……という内容の投書が載ったんだそうな。この「いただきますを言わせるなという親」を理解できるかどうかについて、読者アンケートを取った結果が載っていたのだが、さすがに約92%が「まったく理解できない」または「あまり理解できない」だった。

 ところが、ここが人間のオモシロイところだが、「理解できる」「理解できる点もある」とした人も5%いる。その理由(「自己正当化」と言った方がイイと思うが)は、どれも噴飯モノなのだが、ここでは「教職員/32歳男性」氏の意見を俎上に載せようと思う。

 この人によれば、給食前の「いただきます」は、「料理屋で勘定を払う時、『ごちそうさま』を言うのと同じ」なんだそうな。

  「お金を払って食べているのに何が『ごちそうさま』だと思うことがある。それと同じ」

 察するところ、どうやらこの人、食いモノ屋では「オレ様は、わざわざこの店に足を運んで、オマエの作る食いモンに、こうしてカネを払って食ってやってんだかんね」というスタンスでいるらしい。でも、もし「オマエに食わせるタンメンはねェ!」(次長課長・河本)とか言われたらどうすんだろう。まァ「設計事務所は他にもあるゾ」……もとい「食い物屋は他にもあるゾ」とか何とか言って他の店に行くんだろうが、もしかしたらスッゴク美味いかもしれないその店の料理を味わうことはできませんワな。

 また「お金を払って食べているのに」と、まるで「おカネを払った自分」がエラいかのように言ってるが、食べることができたのは「おカネ」のお陰であって、この人の力ではないのだ。「お客様は神様です」と三波春夫センセーは言ったが、真にありがたいのは「おカネ」であって、それを運んで来てくれるから「お客様」は大切にしなくてはいけない……という意味で「神様」なのだ。
 なのに「カネの力」=「自分の力」だと勘違いしてる。部長や課長といった役職を、自分の力だと勘違いしてるオヤジどもの思考と大差ない。「お客様、おカネなければ、ただの人」なのだ。

 こ〜ゆ〜のを昔から「虎の威を借る狐」と言うが、この「教職員/32歳男性」君には、教職員などとゆう安定した職業(一般的にはそう思われている)は、ぜひ一度失っていただき、「カネの切れ目が縁の切れ目」という諺を経験していただくとよろしかろう。そうして「自分は本来、非力な存在なのだ」と悟れば、「おカネがある。ありがたい。それを払って食いモンが食える。ありがたいありがたい」……という気持ちが、潜在意識の下に芽生えてくると思う。

 そうすりゃ「いただきます」や「ごちそうさま」の意味するところもわかってこようというものだ。

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