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「芯鉛筆」を知らんのか。

【5月20日(土)】 突然で恐縮だが「芯鉛筆」をご存知だろうか。このブログはイラスト関係の方々も読んで下さっているので、その方面の皆さんは「あァ、アレね」とわかる人が多いと思う。しかし、一般の方には馴染みがないかもしれないので、写真を載せておこう。文字通り、芯だけで出来た鉛筆である(手が汚れないよう、先っぽ以外の表面はコーティングしてある)。主にデッサンに使う鉛筆で、画材屋では「グラファイトペンシル」などといった名で並んでいたりする。

 そう。画材屋の店頭には確かに並んでいるのだ。にもかかわらず、当の画材屋の店員が「よく知らない」ってのはど〜なんだろう?
 例えば以前、某有名画材店で「芯鉛筆はどこにありますか?」と聞いたら、シャーペンの芯の棚に案内されたことがあった。まァ、若い学生バイトらしかったから仕方ない面もあるが、木炭やコンテなんかと並ぶ、デッサンの基本的な画材なんだから、芯鉛筆くらい知っておいてほしい。

2005_0520 そして今日は、別の某大型画材量販店で、芯鉛筆を買ったのだ。9Bと6Bと3Bそれぞれ3本ずつ。他の品物と一緒にカゴに入れ、いくつかあるレジの一つに持っていった。そのレジの担当は、20代前半と思しき女店員。カゴから品物を取り出し、順調にバーコードを読み取ってカウントしていったが、最後に芯鉛筆を手にして固まってしまった。これにはバーコードが貼ってない(そりゃそ〜だ)。
 レジの下からファイルを取り出し、鉛筆の一覧が載ったページを開いて調べている。しかし、わからなかったようで、隣のレジの先輩と思しき女店員にコソコソ聞いていた。ところが、それでも解決しなかったと見え、オレに「少々お待ち下さい」と言い残して、店の奥に走って行ってしまった。
 少々待つのは別に構わないのだが、一向に帰って来る様子がない。オレの後に並んでいた客は、待ちくたびれたと見え、他のレジに移動してしまった。オレもイライラし始めた頃、彼女はようやく戻って来たが、何と、まだ値段がわからないらしい。そして、今度は2人の先輩店員も加わり、手にした芯鉛筆を中心にして“協議”を始める始末……。

「あのサァ〜、わかんないなら、どこにあったか教えましょ〜かァ〜!?」

 オレがそう言うと、やっと「お願いできますか?」と言ってきた。

 そして、芯鉛筆が並んでいた棚まで店員を案内し、ようやくモンダイは解決の方向に向かったのだが、大した量の買い物をしたワケじゃないのに十数分もかかってしまったぜ。

 大規模店はアイテムが膨大だし、芯鉛筆を買う人なんてそう多くないだろうから、よく知らなかったとしても、まァ「仕方ない」としよう。でもサ。だったら見栄なんて張らず、素直に、客のオレに聞きゃイイじゃん。 周りにいた先輩店員だって「お客様に尋ねなさい」くらいの指導をしてしかるべきだろう。聞くのは失礼だと思ったのかもしれないが、待たせるほうがよっぽど失礼だぞ。
 まさか「客にモノを尋ねてはいけない」といった社訓があるワケじゃないだろ〜な。

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鉄路は人の血を好む?

2005_0519【5月19日(金)】 仕事で埼玉へ。ところが、上野駅で高崎線で乗り換えようとしたら、折り返しの電車が遅れている。「なら、宇都宮線は?」と思ったら、そちらも遅延。駅の構内放送は「浦和〜赤羽間で線路に人が立ち入ったため」とアナウンスしていた。「事故」とは言ってなかったので、大した事ではなかったのかもしれないが(「人が立ち入る」ってどんなコトだ?)、電車がダイヤ通りに動かないのは、やっぱり何だか気分が悪い。「まったくもォ」と思いつつ、時刻を見ようとケータイを取り出したら、着信があったことに気づいた。留守電を聞いてみると、大宮駅で落ち合うことになっているO社長の「電車が止まっちゃってるんで遅れま〜す♪」という明るい声が……。

 その後、遅れて来たO社長と大宮駅からニューシャトルに乗り換えてS社を訪問し、約3時間半後に再び大宮駅に戻って来たら、高崎線と宇都宮線はまだ遅れていた。ところが、駅の放送をよく聞いてみると、どうやら、さっきとは違うトラブルが原因らしいことがわかった。(今度はハッキリと「人身事故が発生」とアナウンスしていた)。ウ〜ム……。

 話はまだまだ終わらない。どうにかこうにか千葉駅まで戻り、内房線に乗り換えようとしたら……何ということだ! こちらもダイヤが乱れているではないか。電車がなかなか発車しない。原因は、またも「人身事故」……。どうしてこうも続け様に、しかも地理的にかなり離れた場所で人身事故が起こるのだ?

 そりゃあ「偶然」に決まってる。

 偶然に決まってはいるんだけれども、こうも立て続けに起こると、何やら“薄気味悪さ”も感じてしまうのだ。

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ついに『憂國』を“目撃”したゾ!

【5月12日(金)】 キネカ大森の「三島由紀夫映画祭」が最終日だ。行こう行こうと思いつつ機会を逸していたのだが、今日を逃すと見れなくなるので、重い腰を上げて電車に乗り込んだ。何しろ“幻の映画”とされてきた『憂國』を上映している。見に行かないわけにはいかない。

 ボクが説明するなどおこがましいが、『憂國』は、三島が割腹自殺する数年前、自ら出演・監督して制作した30分弱の短編。その内容ゆえ、事件後、夫人の意向で全てのプリントが焼却処分された。つまり、もうこの世に存在せず、永遠に見ることができないと思われてきた映画なのだ(手元にある『ATG映画を読む』〜佐藤忠男編・フィルムアート社刊〜の解説ページには「作品は1971年1月で廃版」と注記がある)。
 ところが昨年、三島邸内でネガフィルムが発見されるという、驚くべきニュースが報じられた。実は、共同製作者の藤井浩明氏が遺族を説得したことで、ネガだけは処分を免れ、人知れず廷内に持ち込まれていたのだという。

 それが、再び発見されて“封印”が解かれ、ニュープリントによる上映やDVD化が決定。今まで存在しないとされていた作品を見られるのは、映画ファンにとって無上の喜びである。映画は時折、こんな“奇跡”を起こすからスゴい(国内では空襲等で失われたプリントが、外国の美術館などで、ひょっこり見つかったりする。これは個人的願望だが、どこぞの国の倉庫に、国内では失われて見ることができない、山中貞雄監督の作品が眠っていないものか……)。

 とはいえ、ボクは『憂國』のネガが発見されたと聞いた時に「やけにタイミングがよすぎるな」とも思った。ナショナリズムが少しずつ広がりを見せつつあるだけに、まるで“亡霊”が蘇ったかのように感じられたのだ(その意味では「時代が喚んだ」と言えなくもない)。

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旧友にそ〜っと“借り”を返す。

2006_0510b【5月10日(水)】 小学校時代からの付き合いであるTが経営する喫茶店のサイトを作成した。まだ「準備中」のページがあるので“完成”というワケではないが、それなりのカタチにはなったのでアップした。

 これも仕事であることに変わりはないのだが、実は「借りを返す」という気持ちも込めている。Tには内心“恩義”を感じておるからだ。本人に面と向かって言ったことはなかったけれども。

 Tはアマチュア写真家でもある。精力的に作品を発表しているが、活動を始めたのは30代も半ば近くになってからだ。それが日本カメラやアサヒカメラで賞を取るほどの腕前になった。
 それを聞いて「大したモンだなァ」と思っていたら、Tは「そういやオマエ、絵はどうしてる」と聞いてきた。「描いてないねェ。それに、今更プロでもないだろう」と答えたら「そんなことないんじゃないか? この年になって始めたオレが賞を取れたりするんだからサ。何かに応募してみりゃイイじゃん」とヤツは言った。もう10年も前のハナシである。

 当時のオレは、広告会社でサラリーマン生活にドップリ漬かっていたが、異動で浦和から乗り込んで来た支社長と、その“親分”である事業部長の振る舞いに心底ムカつき、いつ辞表を叩きつけようかと探っていた時期でもあった。でも、辞めるのなら、何か他の会社にアピールできるモノを持って出ねば……とも思っていた。ただし、そのとき頭の中にあったのは実務的な資格とかで、イラストに結びつけては考えていなかった。

 Tから言われて、
「そうなのかなァ……でもダメモトだもんな」
 と思い、長く中断していた作画を再開し、公募に出し始めた。すると程なくして、思いがけずも、エイズポスターのコンテストで“1等賞”を頂いてしまったのだった。

 もっとも、賞を取ったら、自信がついたのか「いつでも辞められる」って気になってしまい(単純な男である)、結局は辞職を思いとどまったのだが(後年倒産しちゃったから、辞めといた方がよかったのかもしれんけど)、今こうして、細々とではあるが、イラストを描くことで、いくばくかの収入を得られるようになっているのは、Tから言われて触発されたことが、きっかけの一つになっていることは間違いない(ヤツは忘れてると思うけど)。

2006_0510 そんなワケで、前々から、内心「いつか“借り”を返さねばならんなァ」と思っていたのだ。だから、サイト作りを依頼された時、二つ返事で引き受けた。もっとも、ハッキリした納期が定められなかったのをいいことに、ずいぶん長くかかってしまい、スマないことをしたが。

 仕上がりはスタイリッシュになったと思う。もっとも、それは使用した写真によるところが大きい(MENU以外は全てTの撮影)。彼の作品のギャラリーも作ったので、ぜひご覧頂きたい。
 そして、木更津にお越しの際は、ぜひぜひ、駅西口から徒歩5分、八剣八幡神社のはす向かいにある「コーヒーハウス ぽえむ/木更津銀座通り店」に足をお運び願いたい。

《コーヒーハウス ぽえむ/木更津銀座通り店》
http://www7a.biglobe.ne.jp/~poem-kisarazu/

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実験アニメーションの系譜。

【5月6日(土)】 『立喰師列伝』の続きになるけど、スクリーンを見ながら「スチル写真を使った、こ〜ゆ〜手法のアニメーションって、むか〜し『IKIF』がやってたよなァ」とボンヤリ考えていたら、スタッフのクレジットに「3D監督 IKIF」と出ていてビックリしてしまった。

 「IKIF」は1980年代に多くの実験アニメーションを発表して話題だった男女2人の制作ユニットで(確か東京造形大の人達じゃなかったかな)、当時、大学の自主映画サークルにいたボクは、彼らの作品を見て「世の中、いろんな事を考えつく人がいるモンだなァ」と唸ったものだった。学生だから、やがては卒業するわけで「きっと、どこかの会社に就職してCMか何か作ってるんだろ〜な」くらいに思ってたんだけど、まだ「IKIF」として活動してたんだ〜!

 調べてみたら「IKIF」のサイトがありました(下記参照)。二人とも(どうやら結婚されたようですね)、大学で教鞭を執りながら、現在も作品の制作・発表を続けているとのこと。併行して「IKIF+」というCG制作プロダクションを設立して、映画やゲームなどのCG制作を請け負っているそうな。あとで調べたら、その方面のギョーカイでは、定評あるプロダクションになっているらしい。

 なんだ……単にオレが無知なだけだったのか(-_-;)。

 それにしても……なるほど、昔は8mmや16mmのフィルムで作ってたけど、さすがに今はもォ、コンピュータだよな。でも、今だったらFlashで簡単に作れちゃうような動きも、昔は1コマ1コマ丹念に作ったワケで、今になって考えると、技術的にも体力的にもスゴい事だと思う。でも、それだからこそ「動き」についての感性が磨かれるんだろうと思うし、その辺りが、Flashアニメしか知らない昨今のヤツらとの“力量の差”につながってくるんだろうと思う(なァんて、つい、ジジくさいことをつぶやいてしまうのだけれど)。

2005_0506 当時は他にも、学生の実験アニメーション作家が多くいた。例えば昼間行雄さんとか(確か今は青山の「こどもの城」の職員をされているんじゃなかったかな)。「アニメーション80」なんてグループも有名だったな(調べてみたら、何とこのグループも現存していました)。また、これもアニメーションの範疇に入れてイイと思うんだけど、九州の大学の学生だった伊藤高志さん(現在は京都にある大学の先生)の『SPACY』を初めて見た時には、マジぶっ飛んだっけ(体育館を写したスチル写真の中に無限に“突入”していくというスゴいフィルム!)。

 そんな風に、個人がCG作るなんて夢のまた夢だった時代から、いろいろ工夫して、オモシロイ“動き”を創出してきた歴史があるんだけど、そうしたアニメーションは、セル画アニメを“主流”とする歴史の中にあっては、どうしても“傍流”の扱いになってしまうワケで、マニアックな人たちならともかく、社会的な認知度が今一つなのは「仕方がないか」と思う一方で「残念だなァ」とも思う。
 だってサ、彼らの活動だって、間違いなく、現在の「ジャパニメーション」の隆盛の礎になっていると思うんだもの。


【参考】IKIFのサイト
http://www.ikifplus.jp/ikif/

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映画『立喰師列伝』を観る。

2006_0505b【5月5日(金)】 千葉の「京成ローザ10 WEST」にて、話題の『立喰師列伝』(押井守監督)を鑑賞。客の入りはまばらだが、夜8時からのレイトショーだから、こんなモンか。一見してコアなオタクとわかるヤツもいる。もっとも、向こうもコチラを見て同じ様な事を思っているのかもしれんが。何せ、客層は見たところ、20代後半〜30代半ばといったところだから、40代後半に突入したオレなんぞは、何だか場違いなトコロに来たような気もしてしまう。しかし、そうは言っても「ジャパニメーション」の“第一人者”たる押井監督の最新作なんだから、コアでなくても、アニメ好きなら、、やっぱ外すワケにはイカンだろう。

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怒りの師匠。

【5月3日(水)】 本来、楽しく愉快であるハズの場所で、不快な気分にさせられるほど、不愉快極まりない事はない。

 今日は「立川流落語会」(日暮里サニーホール)へ行ったのだ。久しぶりのナマ落語なので、大笑いして楽しんでいたのだが、中入りの前、桂文字助師匠が演じている時のこと。後方でオヤジの話し声がした。それもボソボソいうような小声ではない。ハッキリとよく通る声。小さなホールだから、なおさら耳障りだ。
 これでは演者も集中できない。師匠、腹に据えかねたのか、噺を終えて高座を下りる際に「ケータイは外でやって下さいね! お願いしますよ!」と後方の客席に向かって注意した。

2006_0503 そして中入り。トイレに行って戻って来たら、ホールの入口で、一人の女性と、70歳前後と思しきオヤジが言い争っていた。女性がさっきの件で注意したらしい。しかしオヤジは、盛んに「ボクはやってない!」と反論していた。
 そのオヤジは席に戻ってからも「ボクじゃない。ちゃんと切ってあるじゃないか」と、ケータイを手にしながらブツブツ言っていた

 さっきの声の主が、このオヤジだったのかどうかはわからないし、ケータイで会話している話し声だったのかどうかも定かではない。ただ、これは憶測だが、さっきの声は“独り言”だったのではないか。「終わりだ終わり!」などと言っていたようだったから、その噺を知っているとかで、聞いていて面白くなく、その思いがつい口を突いて出てしまったのかもしれない(思った事を、無意識に口走ってしまう人が時々いる。かく言うオレ自信も思い当たる節があるんだけれど……)。

 しかし、だからと言って許されるモノではないゾ。場内の全員を不快にさせたのは間違いないのだからな。公共の場で傍若無人にケータイをかける若者がヤリ玉に上げられたりするが、中高年にも非常識な人間は相当いる。

 「いいオトナなんだから」という言葉は、もはや通用しないのかもしれん。

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寸止めコンサート。

【5月1日(月)】 ユーミンのコンサート関連の話を、しつこく引っぱるんだけど、帰宅後、もらったチラシの束をめくっていたら、今度出るアルバムのチラシが入っていたのね。で、その中に載っていた、英字で書かれた今回のツアーの日程を何気なく目で追っていたら、その中の一つに目が止まってしまった。

 6/3  SUNDOME FUKUI

 SUNDOME……どう読み直しても「スンドメ」じゃん!

2006_0501 一瞬、わが目を疑ったけど、すぐ「要するに『サンドーム福井』なのだな」と察しがついた。ネットで調べてみたら、確かに福井県越前市(武生市と今立町の合併によって昨秋発足)に、その名称のホールがあることが判明。正式名称は『福井県産業振興施設』といい、日本海側では最大級のイベントスペースなんだそうな。過去には映画『釣りバカ日誌7』のロケにも使われたとのこと(参考:ウィキペディア)。これは見てないので知らなかったなァ。
 加えて「スンドメ」と読めてしまうことも有名なようで、いろんなサイトでネタにされていた。

 それにしてもねェ……命名の時、気づかなかったのかなァ。どういう経緯でこの名称になったのか知らんけど、一応“コピー書き”としても生計を立てている人間としては「せめて、英文表記ではハイフンを入れて『SUN-DOME』とするなどの工夫が必要だったんじゃないかい?」……とツッこまずにいられない。

 さてさて、6月3日のコンサートで、ユーミンはこのコトをネタにするだろうか……。

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