「バンザイ」万歳!

【8月10日(水)】 不思議ですなァ……。何がって、衆議院解散の際の「バンザイ」ですよ。ガキの頃から不思議に思っているのだが、未だに解けないナゾの一つ。センセー方は、自分が失職するというのに、最高の奉祝をしてしまうのだね。オレなんザ、勤め先がツブれて失業した時にゃ、社長と役員への呪いと恨みの言葉しか吐かなかったゾ! もっとも、今回の解散は、純ちゃんへの呪いと恨みが相当渦巻いていたと見え、バンザイもどこか精細を欠いていたような気がするけどね。

 「万歳」って漢語だから、漢字文化圏共通の奉祝の言葉なんですな。中国語では「ワンスェイ」、韓国語では「マンセー」。
 で、日本語は「バンザイ」なワケだが、「バンザイ」って発声するようになったのは、明治の中頃以降らしい。「万歳」自体は、桓武天皇の頃(8世紀後半)には使われてたって記録があるそうだが(続日本紀)、その頃は「バンゼイ」とか「バンセイ」と発音していたとか。それが、明治憲法発布の祝典に際し、明治天皇への奉祝の発声として「バンザイ」という発声が考え出されたのだという。

2005_08-10 って“訳知り顔”で書いてしまったが、以上はGoogleの検索で見つけた、福島県の葬儀屋「たまのや」さんのホームページにあった記述のウケウリなんだけどね。コレには、自由民権運動に絡んだ、別の“起源”も書いてあって面白いです。いずれにしろ「バンザイ」って言葉は、最初から政治的な意味合いを含んでいたワケで、そう考えると、衆議院の解散時に「バンザイ」と叫ぶのも、あながち的外れとは言えないかもしれない。

 まァ、起源はどうあれ、今では「バンザイ」がすっかり一般化しているし、ア段の音が2つ入っているとポジティブな感じがするから、やっぱり「バンザイ」と発声するのがよろしいですな。ウルフルズの歌も「バンザイ」だからこそウレたワケで……。
 歌といえば、ニッポン放送の亀渕昭信前社長(現相談役)がDJ時代に泉谷しげると組んでいたユニット「カメカメ合唱団」に、バンザイの歌があったっけ(正確なタイトルは忘れた)。確か「♪僕たち日本国民は〜、とってもバンザイ好きなのねェ〜♪」って詞だったかな。最後に「泉谷センセー、バンザ〜イ」「亀渕センセー、バンザ〜イ」って叫び合うの。知ってます? 


《参考》「たまのや」のホームページ
http://tamanoya.i2igr.jp
※バンザイの起源に関する記述は下記にあります。
http://tamanoya.i2igr.jp/manner/text/bankigen.html

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3本が正しい。

【8月6日(土)】 本家へ行き、昨夏死んだバァさんの一周忌と新盆供養を兼ねた法事に参列。この日記にバァさんが死んだことを書いてから、もう1年……月日が経つのは本当にはやい。それにしても、一周忌も新盆も、本来なら別々に行わなければならないところだが、両方まとめて執り行えるような月に逝ってしまったところは、気配りの人であったバァさんらしいと言えなくもない。

 きらびやかに飾られた祭壇の前に親類縁者がズラリと並び、坊さんがお経をあげる……。で、一人一人線香を供えたワケだが、参列した約20人全員が供え終わった後、一人が坊さんに質問をした。
「前々から聞こうと思ってたんですがね、線香ってのは、何本供えるのが正しいんです?」
 それに対して「そうこだわる必要はありませんけど」と前置きして坊さん曰く……「ウチの宗派(真言宗豊山派)では3本が正式」なんだそうな。それも、まとめてではなく、1本ずつ分けて立てるのだとか。それぞれに意味があるらしい(その説明もしてくれたけど忘れた)。
 加えて曰く……

2005_08-06「ただ、3本が正式だからと言っても、今日のような席で皆さんが3本ずつ供えたら、いっぱいになってしまいますし、危ないですからね。心を込めて1本ずつお供えすればいいです。昔はお線香は高価な物でしたから、1本1本大切にお供えする、という意味もあるんです」

 確かに、冷房かけて閉めきった部屋の中は、線香の煙がたちこめ、空気がかすんでいたからなァ……。
 それにしても……オレは今まで、ず〜っと2本だとばっかり思っていたよ。なかなかオモシロイ。何事も“プロ”の話は聞いてみるモンだ。
 帰ってからネットで調べたら、供える線香の本数は、宗派によってイロイロあるとわかった。立てずに、横に寝かせて供える宗派もあるそうで「へェ〜」と感心してしまった。
 ただ、同じ宗派でも、HPによっては記述が異なるケースもあって、案外イイカゲンなトコロが……というか、まァ「臨機応変」なのかもしれない。いずれにしろ、これからは親父の仏壇にも、3本ずつ供えることにしよう(すぐ忘れるけど)。

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夜店は不滅。

2005_07-09【7月9日(土)】 ウチの地元では、今日明日と夏祭りである。以前は7月11日と決まっていたのだが、神輿を担ぐために会社や店を休むようなご時世ではなくなったからだろう、いつの頃からか、7月第2週の週末に行うようになった。
 要するに、神様よりお客様・お取引先様の方に高いプライオリティが置かれるようになったワケだが、故・三波春夫センセーのお言葉通り「お客様は神様」なワケだし、社殿の奥に鎮座まします神様はコチラからお賽銭を上げなければならないのに対し、お客様の神様はアチラからお金を持って来てくれるのだから、どちらが「ありがたみ」を実感するかと言ったら、そりゃお客様の神様に軍配が上がってしまうわけで、まァ仕方ないだろう。それに「会社」にも「社」(やしろ)の字が入っているからな。仕事を優先させても、まるっきり不信心者というワケでもあるまい。

 とまァ、ど〜でもイイ事を書き連ねてしまったが、夕方、ふと思い立って、中心街にある八幡神社(“猫目”にも登場する神社)へ足を運んでみた。ガキの頃は、境内の夜店に連れて行ってもらったものだが、大きくなってからは足が遠のいた。一緒に行くようなカノジョはいなかったし。子供でもいれば来る機会はあったかもしれないが、未だそうじゃないからな。まァ少なく見積もっても、25年は全く足を向けていない。

 だから「今でもやってんのかな」と一抹の不安があったのだが、あにはからんや、行ってみたら、小雨が降るあいにくの天候にもかかわらず、昔と同じ様な賑わいと香りがそこにあった。さすがに、40代のオヤジになった今のオレの目には、子供の頃の記憶より小ぢんまりして見えたし、家族連れより中高生が多かったが、なるほど、このテのモノは、そう簡単にはスタれないのだな。

 「灯台もと暗し」だった自分をちょっと反省しつつ、写真を何枚か撮った後、神社近くにある、同級生経営の喫茶店で休憩。ちょうど来店していた別の同級生にも、30年ぶりくらいで再会した。

 いろいろ行動を起こしてみるモンである。

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